何時の時代でも、昔はこうだったという事が多々ある。
私が学生から社会人になった頃もその時の上司達は同じように今の若い者はと言っていた。
それから、数年たった時ですら私も、今年の新人はとか言っていた。
それから40年近く経過した今の時代、かなり働き方や働くという考え方が違っているように思える。
単に年を取ったからなのかもしれないが、年齢と共に多くの経験を重ねてきた今だからこそ言えることも沢山あると思う。
私が社会人になったばかりの事を少し書いてみよう。
製薬会社のコンピューター部門に配属されて、社会人一年生を迎えたわけだが、その当時は何処でもそうだったのだと思うが、定時という考え方がなかったように思う。
会社の規則上の提示は、確か17時15分だったように覚えているが、その時間に仕事を終えて帰る人など、一人も私の配属された部署にはいなかった。
2年先輩で私の面倒をよく見てくれた人が、定時は19時だよ。それまでは残業代もつかないよ。と言っていた。
確かに、午後7時以前に帰っている先輩を見た事がなかった。
新入社員だった私は、仕事も出来ないわけだから上司からは、早く帰りなさいと言ってもらえたが、その他の先輩達は、もくもくと作業を続けていた。
そして、翌日に前日の残業申請をすると課長からは、残業ばかりしているようだが、仕事の効率が良くないのと違うのかと言ったような事を言われて、残業申請書をその場で破られたりもしていた。
今流にいえばパワーハラスメントなだろうが、当時はそんな事を言う人は誰もいなかった。
そんな時代を過ごしてきた私達は、人の倍以上の仕事をする事が当たり前という考え方をもっているのかもしれない。
また、そのような立場から早く脱却して言われる立場から言える立場になる努力も惜しまなかったのかもしれない。
いい意味で打たれ強いわけだが、バブルという時代の流れで働けば働くだけ儲けられた時代だからこそ、パワーハラスメントにも我慢できたのかもしれない。
そして、その上司達も自分達が頑張ってこれたからこそ、部下にも頑張らさせようとしていた指導の意味もあったのかもしれない。
このような目から見ると、今の時代、果たしてこのままでいいのかとも思えてしまう。
打たれ弱い人間達が上席者になった時に本当に強い組織や会社になれるのだろうか。
育った環境が違い過ぎることも当人達には責任の無い事なのだが、競争をさせていないと競争出来ない人になるのも事実だと思う。
年長者の話は、自分の為にしてくれているのであれば、よく聞いた方が良いと思いますね。